ダコワーズを焼きながら
このブログのためにデザートのレシピを考えてます。なるべくカンタンで、でもちょっと手間をかけると、レストランで食べられるような感じのものをと思って、いろいろな組み合わせを頭の中であれでもない、これでもないと考えているときが案外と楽しくて幸せ~♪ 味覚と色 ...
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このブログのためにデザートのレシピを考えてます。なるべくカンタンで、でもちょっと手間をかけると、レストランで食べられるような感じのものをと思って、いろいろな組み合わせを頭の中であれでもない、これでもないと考えているときが案外と楽しくて幸せ~♪ 味覚と色彩のバランスも大切だし、食感も大事。なかなか創作的な時が過ごせるんですね、これが。
パティシェになるためにお菓子(焼き菓子・冷菓子・俗に言うケーキ類など)、チョコレート、飴細工、デザート、そしてブーランジェリーの基礎(ビエノワズリーやパン類)を学校で習った訳だけれど、勉強していくうちに自分の好きな分野が出て来るようになる。パリのコルドンブルー時代には、日本でプロのパティシェとして活躍していた人もいれば、焼き菓子を作らせたら先生も唸るほどの出来栄えを誇る友達、飴細工の虜になり、狭いスチュディオの床にじかにコンロを置いて練習に明け暮れ、飴細工の登竜門として有名なコンクールでフランス人のパティシェに混ざって入賞した友達もいた。
さて、私は!? 中級のときの最終試験のクジ引きで、得意なアントルメ(ムース系の組み立て式のケーキ)を作ることになり、見事2位で進級を果たした。だから、アントルメが得意。でもチョコレート作りも大好き。これには、ものすごくハマった。飴細工とパン作りは苦手だった。つまり、辛抱と忍耐の要る分野はまったくダメ。一応、飴細工はル・ノートルの学校でも研修を受けたのにね。そして、パリの超一流どころのホテル2ヶ所でインターンを終えた後、私の好きな分野はチョコレートとデザート作りになっていた。アメリカのリゾートホテルでパティシェとして働いていたときには、志願してデザート作りにまわしてもらったほど。お皿をキャンバスに見立てて絵を描いているつもりになる。お客様に食べられてしまったら、それでお終いだけれど、全部平らげてくれたら何よりの賛辞でした。
パリに最初に住んだのは1999年の1月1日! その日にアメリカからフランスへと引越しした。学校の近く、15区にあるパリのどこにでもあるようなアパート。2階式のメゾネットタイプの1ベッドルームで、下はリビングとコーナーダイニングとキッチン、そして2階はバスルーム(トイレとシャワー室が一緒)と寝室があった。階段に手すりが無く、寝ぼけていたら間違って転落しそうなアパートだったけれど、アンティークの大きな開き戸のついたクロゼットやチェストが置いてある案外とステキな棲家だった。ただ、キッチンの水道をひねっても、お湯は出て来ない。必要な時はマッチで旧式のガスの湯沸しを点ける必要があった。シャワーも然り。節約のためにひとりが必要と思われる量のお湯を温めておくタンクがついていて、うっかり洗面台で洗濯をした後でシャワーをすれば、途中でお湯がなくなってしまったこともあった。
今、思い返せば、小粋な空間のパリの一人暮らしだったのに、そのころは毎日のように学校とそしてパリの街中をウロウロ歩くのが好きな私だった。カルト・オランジュという定期券を買ったのは、パリ生活2年目から。それ以前は片道1~2時間歩いてどこかに行くのは、苦にならなかった。オテル・ド・クリヨンで研修生として働いていた時に、夜の仕事が長引いて、最終メトロに間に合わずにコンコルド広場からセーヌ川を渡って、ひとりでタクシーにも乗らずに歩いて15区のアパートまで歩いて帰ったこともある。
そしてよく行ったのが、オデオンにあるChez Jacobineと呼ばれるサロン・ド・テ。 去年、訪れた時にはなくなってしまっていたけれど、本当に残念。ここのタルト・タタン(リンゴのパイ)といろんなアンティークっぽいティーセットで飲むフレーバーティーが好きだったのに。
今日の午後は久しぶりにうちにいて、デザートの土台にしようと思って焼き始めたダコワーズ(アーモンドパウダーとメレンゲで焼いたケーキの生地)の甘い香ばしい匂いが、懐かしい思い出を運んで来てくれました。あ~あ、あのころは純粋にお菓子作りが好きで、学校で習う毎日が生き生きと楽しかったなぁ...