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『ふるふる青梅のムース』の本体はこちらのプチ・アントルメ。小さなアントルメを4個作って残ったムースやゼリーを使っての2番煎じがふるふる青梅のムースだったわけ。

では上から、青梅のゼリー、中は青梅のムース、そして中にはこの青梅のジュレ+グレープフルーツが入って、下は梅シロップをしみ込ませたジェノワーズを敷きました。ジェノワーズは冷凍してあったもの。こうやって部品を冷凍しておくと簡単なの♪

味はもう、さっぱりとしていて、青梅のおいしさが最大限に引き出されていると思います。自画自賛だね~!嫌味じゃないですけど...Š¾G 幸せな気分になれるお菓子です‚́[‚Æ

今日はこのムースとゼリーの部分だけレシピを載せますね。ジュレとジェノワーズと梅シロップは割愛します。

*** 青梅のゼリー :
板ゼラチン 1枚を冷水にふやかしておく。柔らかくなったら、水気を絞る。水 50g、梅のコンフィチュール(自家製の砂糖控えめのジャムが最適) 100g、グラニュー糖 25gを火にかけて温め、砂糖を混ぜて溶かす。60℃以上にならないようにね。そして、絞ったゼラチンを入れて混ぜ溶かす。氷水などで冷やしてから、ムースの上に流し込む。


*** 青梅のムース : 
 普通のグラスの器で約6人前
<材料>
青梅のコンフィチュール(ジャム) 100g
水 50g 
はちみつ 40g
板ゼラチン 2枚 (冷水に冷やして柔らかくしてから、よく水気を絞る)
プレーンヨーグルト 60g
グランマルニエ 大さじ 1
生クリーム 165g

<作り方>
① コンフィチュール、水、ハチミツを小鍋に入れて煮溶かす。60℃以上にならないように!

② ボウルにあけて、用意しておいたゼラチンを入れて、混ぜ溶かす。

③ ②にヨーグルトを入れて泡だて器でよく混ぜて、次にグランマルニエを入れて混ぜる。

④ これをボウルごと氷水に当てて、とろみをつける。

⑤ 生クリームをミキサーで7分立てぐらいに泡立てて、とろみのついたムースに泡立てた約3分の1のクリームを入れて、泡だて器でよく混ぜ合わせる。残りのクリームは3分の1量ずつ、ゴムベラでさっくりと混ぜ合わせて、出来上がり。

⑥ 器に流し入れて、冷蔵庫で固める。

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これが中身です☆ この写真を撮ったときには、出来上がったばかりのアントルメで、まだしっかりと固まってなくて...でもふるふる感が身上なので、これでよしかな?


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‚Ձ[‚³‚ñ 実はこのアントルメ、huruhuruのセレンさんのコメントを読んだら、ある人に食べてもらいたくなりました...セレンさんいわく、「青梅のジュレは おばあちゃんに食べてもらいたいデザートです。 これなら・・・すぅ~~っと して 元気になれそう」って...セレンさんは独特のセンスがあって、彼女の洞察力にはときどきドッキリすることが~!ステキな女性なのですよ。

続きにその人の話をしたいと思います。興味のある方はどうぞ~!注意: 長いです。
今朝、いつものようにロッキンちゃんのブログに遊びに行くと、彼女のご両親が孫娘ちゃん2人のために玉手箱のようなステキなプレゼントがたくさん詰まった小包を送ってくれた話を読んだ。

なぜか、急に涙が出てきた私。ロッキンちゃんのご両親の異国の地に離れて住む孫を思う気持ちが、とっても強く感じたから...読んでいるうちになんだか、私と父方の祖父母のことが重なって、泣けてきた。

私は、ごく幼い時に父を亡くした。まだ2歳半の私と30歳前の若い父はたった2年半しか生活しなかったことになる。それなのに少しだけ、でも強烈な思い出がある。母もそのことを覚えているし、私の記憶が正しいことにもビックリしているらしいけれど。

そんな孫娘を不憫に思ったのか、それとも孫の中で一番最初に生まれた私が可愛かったのか、祖父母は私をとりわけ可愛がってくれた。でも、そんな気持ちを幼い私には分るはずもなく、小学校入学してから義父が出来た私は、その義父が嫌がる父方の祖父母に会うことをあまりしなくなった。

でも何かあると、すぐにそっちの家に歩いて行っては慰めてもらったり、一緒に喜んでもらったり...私の成長を一番喜んでくれた祖父母と若い叔母だった。中学に入ると、複雑な義父と父方の祖父母の関係(私が頻繁に祖父母の家に入り浸るので)がイヤになって、疎遠に。それでも、陰で私を心配してくれて応援してくれた祖父母だった。

いつの間にか、アメリカの親戚の下で生活して学校に行き始めた10代半ばの私は、祖父母ともいよいよ疎遠になってしまっていた。母が電話で頻繁に「おじいちゃんもおばあちゃんも心配して、あんたのことを聞いて来るからたまには電話でもしてあげて」っていう言葉にも、刺激の多い楽しい生活を送っていたティーンエイジャーの私には、まるでウマの耳に念仏。いつまでも、そこに戻れば、元気な祖父母がいると信じて疑わなかった自分がいた。

大学進学して、3年目。夏休みに日本に戻った時に、祖父が持病の肋膜炎から来る肺の疾患で、呼吸困難になって入院していたことを知らされた。それもだいぶ悪いとのことだった。酸素チューブを鼻に入れられての呼吸だ。おちゃらけて、アメリカから持ち帰ったポテトチップスの袋を持ってお見舞いに行った私の手を、体力を失った手に力を込めて握り締めてくれた祖父。あまりにもビックリした私は、思わずチップスを差し出したら、食欲がないはずのおじいちゃんが、チップスを受け取り、少しずつその乾いたものを咀嚼していった。「おいしいよ」って言いながら...ハラハラするおばあちゃんを横目に、2枚ぐらい食べた祖父。きっと無理やり頑張って食べたと思う。

母にはもしかしたら(おじいちゃんは)持たないかも、って言われたけれど、あんまりその言葉が重たく感じなかったその頃の私。8月の終わりにアメリカに戻っての3年生の新学期が始まった。

9月を過ぎて、ある夜から祖父の夢を毎夜見た。こんなに不思議な体験は初めてだったけれど、いつも同じ夢だった。私の腕の中で祖父が寝ているのだ。そして一言、「ああ、じいちゃんは幸せだ。こうやってOOOと一緒にいられて」って言う。母に心配して祖父の容態を聞くと、「あんたは心配しないで、勉強だけしときなさい。大丈夫だよ」としか言わなかった。

毎晩の同じ夢。私は、不思議と怖いとは思わずに、ただ祖父に会えるのが楽しみだったのだ。1ヶ月たったある日、電話があった。そのとき不思議と「ああ、おじいちゃんだ」と思い、受話器を受け取るなり、「おじいちゃんでしょ?」って電話口の相手も確かめもせずに口走る私。やはり母だった。虫の知らせ。危篤だけれど、「戻ってくるな」と言われた。すでに10月に入り、あと1週間で中間テストがあった私に祖母が、「おじいちゃんの意思を組んで戻って来るな。今やっている勉強にだけ集中しなさい」とのことだった。若い頃からの肋膜炎で、苦労してきた祖父は何よりも子供の教育には熱心だった。それでも4人の子供を大学に行かせることが出来ずにそれが無念だった祖父。彼自身も、とても博学だった。子供たちは、それぞれ進学校進学だったけれど、大学を諦めざるを得なかったのだ。

だからなおさら、初孫が大学生だから、その道を阻むことはしたくないとのことだった。それも大事なときだから、そのまま勉強を続けなさいと。

私の中で、祖父の死に目に会えず、お葬式にも出られなったことが今になって大きな後悔となっている。そして、今になってわかる祖父の深い愛情。もっと何かおじいちゃん孝行をしてあげたかった、それも私の父の分まで...と思うと、胸が潰れる思いがする。

でも、きっと時空や次元を超えて、人間同士の愛って繋がっているんだと思うこのごろ。愛する人への愛情や想いは、永遠に続くものだと思う。

きっと今日の私のことをどこからか、一番喜んでくれているのは祖父のような気がした今日の朝。それもロッキンちゃんの記事を読んだことがきっかけだから、人間同士のつながりって面白いと思う。このごろ忙し過ぎて、ケロリと忘れていた祖父母への愛情を、そして彼らの私に対する愛情を思い出させてもらった。だから、とってもありがたい☆ どうもありがとう~、ロッキンちゃん。

そして、セレンさんの言葉と重なって、きっとこのアントルメは、おじいちゃんが一番喜んでくれると確信している。きっとあの病院でのポテトチップスよりは、絶対いいよね~!だから、今日のお菓子はうちのおじいちゃんのためのレシピですƒn[ƒg‚W

ここまで読んでくれた皆さん、どうもありがとうございました~!


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